George と話しをしていて、ちょっと考えさせられる事があり、少し自分の中で整理出来た事があります。
私の考え方というか、好き嫌いというか、心情というか、そんな事です。
a という動機から A というものが生まれた。
b というものからも A と良く似た A’ というものが生まれた。
A と A’ はそれだけを比べてもその動機が a なのか b なのかは、容易に推察出来ない。
この時、私は、A も A’ もその動機となる出発点が a であって欲しいと願い、そして信じる(信じたい)。
ただその動機 a も b も完全に別物かといえば、そうではなく、a に b の要素も含まれているし、またその逆もある。この時私がこだわりたいのは、a の純度である。
しかしその純度もまた、それを知る事はほぼ不能であり、表面に現れた A や A’ そのものではなく、それに付随する情報や他者の意見などから推察する程度の事しか出来ない。
目の前に現れたものは、A であり A’ だけである。A’ の方が心に響くものである事もある。それでも私は、a → A である事に価値を見いだしたいし、自分自身も a → A でありたいと願うのである。
ま、小難しい屁理屈ですな。(^_^;)。